林業を守ることと、山を守ることを分けて考える
山の話をすると、必ずと言ってよいほど、こんな言葉を聞く。
「間伐しないと山が荒れる」
「国産材を使わないから、山が荒れている」
「木を伐って使うことが、山を守ることにつながる」
私自身も、長い間、この説明をほとんど疑わなかった。
国産材を使えば林業が続く。林業が続けば間伐が行われる。間伐が行われれば山が健全になる。
確かに、きれいな循環に見える。
しかし、山について考え続けるうちに、一つの疑問が生まれた。
「間伐しないと山が荒れる」というとき、
そもそも何をもって「荒れる」と言っているのだろうか。
木材の商品価値が下がることなのか。
林内が暗くなることなのか。
下草がなくなることなのか。
表土が流れることなのか。
それとも、土砂災害が起きることなのか。
これらは、同じ問題ではない。
そして私は、次の三つも、本来は分けて考える必要があると思うようになった。
- 国産材を利用すること
- 林業を産業として守ること
- 国土として山を守ること
三つには重なる部分がある。
しかし、目的も、対象となる山も、費用を負担する人も、評価方法も違う。
「山が荒れる」という曖昧な言葉
林業を行う人にとって、間伐されていない人工林が「荒れている」という表現には、一定の合理性がある。
スギやヒノキを密集して植えた人工林では、間伐をしなければ木同士の競争が続く。
その結果、木が十分に太らない、細長い木が増える、枝が枯れ上がる、目的とする径級に達しにくいといった問題が生じる。
柱、土台、梁などの商品価値の高い木材を生産するには、適切な密度管理が必要である。
この意味では、
「間伐しないと、林業としての山が荒れる」
という主張は理解できる。
ただし、これは主として木材生産の問題である。
木材の商品価値が下がることと、国土としての山が危険になることは同じではない。
ところが一般には、この二つが「山が荒れる」という一つの言葉で説明されている。
ここに、林業と山林保全の混同がある。
間伐は何のために行うのか
間伐には、大きく分けて二つの目的がある。
一つは、木材生産のための間伐である。
木の本数を減らし、残した木を太らせ、将来の商品価値を高める。これは林業における生産行為である。
もう一つは、森林環境を改善するための間伐である。
過密な人工林へ光を入れ、下層植生の回復を促し、林床を植物や落葉で覆う。これによって、表土流出を抑えられる場合がある。
特にヒノキ人工林では、林床植生や落葉層による地表面の被覆が、土壌侵食の抑制に重要であることが研究でも示されている。
しかし、ここで注意が必要である。
間伐すれば、必ず下草が生えるわけではない。
林内を明るくしても、シカによる採食圧が強ければ、新しく出た植物が食べられてしまう。
2025年に公表された岐阜県森林研究所の研究でも、列状間伐によって林内の光環境は改善したものの、シカの採食圧が高い場所では、下層植生の回復や表土流出を抑える効果が限定される可能性が示されている。
つまり、
間伐したという事実だけでは、山を守ったことにはならない。
間伐後に植生が回復したか。
シカ対策ができているか。
作業道の排水は適切か。
伐採残材が渓流へ流れ出す状態になっていないか。
そこまで確認して、初めて山林保全としての成果を評価できる。
間伐しないと山が崩れるのか
「間伐しないと山が荒れる」という説明は、しばしば土砂災害の話まで拡張される。
しかし、間伐の有無だけで斜面崩壊を説明することはできない。
山の崩壊には、
- 地形
- 地質
- 傾斜
- 表層土の厚さ
- 地下水
- 降雨量と降雨強度
- 渓流の形状
- 林道や作業道の排水
- 過去の崩壊履歴
などが関係している。
樹木の根には表層土を補強する働きがある。しかし、根の届かない深い部分から起きる崩壊や、極端な豪雨による崩壊まで、森林だけで防げるわけではない。
したがって、
「間伐していないから崩れた」
「間伐すれば崩壊を防げた」
と、現地調査をせずに断定することはできない。
むしろ、不適切な間伐が新たな危険をつくる場合もある。
重機による土壌攪乱、作業道への雨水の集中、伐採残材の渓流への流出、急激な風環境の変化による風倒などである。
間伐は、それ自体が善なのではない。
山の状態を改善するために選択される、一つの手段にすぎない。
この言葉は、誰のための言葉なのか
「間伐しないと山が荒れる」は、かなり林業側の文脈が強い言葉ではないかと思う。
もちろん、林業関係者が嘘を言っているという意味ではない。
人工林を木材生産の場として維持するなら、間伐は必要である。林業には林業の正義がある。
しかし、本来は、
「良い木材を生産するために間伐が必要です」
という話だったはずである。
それが次第に、
「間伐しなければ山が荒れ、災害が起きます」
という国土保全の説明へ広がっていった。
木材生産のための間伐であれば、その費用は本来、木材販売によって回収する林業経営上の費用である。
一方、集落、道路、水源を守るための間伐であれば、それは公共的な国土保全事業である。
ところが「間伐しないと山が荒れる」という言葉で二つを一体化すれば、林業振興のための事業を、山林保全のための公共事業として説明しやすくなる。
さらに行政にとっては、「何ha間伐したか」は集計しやすい。
一方で、
- 表土流出がどれだけ減ったか
- 下層植生がどれだけ回復したか
- 災害危険度がどれだけ下がったか
- 流木の発生リスクがどれだけ減ったか
を長期的に測定するのは難しい。
そのため、いつの間にか、
間伐した面積=山を守った面積
として扱われるようになったのではないか。
しかし、手段と成果は同じではない。
林業を守ることと、山を守ることは違う
林業を守ることと、山を守ることを比較すると、その違いがよく分かる。
| 項目 | 林業を守る | 山を守る |
|---|---|---|
| 目的 | 木材生産と所得の確保 | 人命・水源・生態系の保全 |
| 優先する山 | 採算の取れる山 | 被害の大きい山 |
| 重要条件 | 林道、傾斜、集約性、材質 | 地形、地質、水系、集落との関係 |
| 主な行為 | 伐採、搬出、再造林 | 監視、治山、排水、危険木対策 |
| 森林の将来 | 人工林として更新 | 自然林へ移行する場合もある |
| 費用回収 | 木材価格 | 公費・受益者負担 |
| 成果指標 | 生産量、利益、再造林 | 危険度低減、水源・生態系の維持 |
ここで重要なのは、
林業に適した山と、山林保全上守るべき山は、必ずしも一致しない
ということである。
林業に適しているのは、比較的傾斜が緩く、林道から近く、所有権を集約でき、機械化しやすい山である。
一方、防災上優先しなければならないのは、急傾斜地、渓流沿い、集落直上、道路直上、水源地などである。
こうした山は、伐採・搬出費が高く、木材生産では採算が取れないことがある。
つまり、木材が売れる山を管理すれば、危険な山も同時に守られるとは限らない。
むしろ、林業では採算が取れない山ほど、公共的な管理が必要になることがある。
国産材を使えば山は守られるのか
国産材を利用することにも正義がある。
国内の製材所や加工業を支え、輸入材への依存を減らし、地域の技術を残すことには意味がある。
しかし、
国産材を使った
=山主に十分なお金が戻った
=再造林された
=防災上重要な山が管理された
とは限らない。
住宅一棟に国産材が使われても、その費用は製材、乾燥、加工、流通、設計、施工へ配分される。
最終的に山主へ戻る金額が、再造林や下刈り、獣害対策まで賄えるとは限らない。
さらに、国産材が出た山と、防災上管理すべき山が同じとも限らない。
国産材利用者が本当に確認すべきなのは、単に「国産かどうか」ではない。
- どの山から出た木なのか
- その山は伐ってよい場所だったのか
- 伐採後に再造林されたのか
- 山主へ適正な金額が還元されたのか
- 防災や生態系に配慮した伐採だったのか
ここまで確認できて、初めて持続可能な国産材利用といえる。
人工林すべてを林業で維持する必要はない
日本には約1,020万haの人工林がある。
しかし、そのすべてを木材生産のための人工林として維持する必要があるのだろうか。
現在の製材用材と合板用材の需要から概算すると、林業として維持すべき中核産業林は、約250万~300万ha、現在の人工林の約3割が一つの目安になる。
この数字は確定値ではない。
しかし、人工林全部を産業林として維持しなくても、現在規模の国産建築用材を供給できる可能性が高いことは見えてくる。
チップは独立した生産目的にしない。
柱、土台、梁、板材、合板などを生産する過程で発生する低質材、端材、背板、樹皮を副産物として利用すればよい。
単価の低いチップをつくるために、条件の悪い山へ入り、高い費用をかけて伐採・搬出・再造林するのは、林業経営として逆転している。
人工林を三つに分ける
これから必要なのは、すべての人工林を一律に間伐することではない。
山の目的を分けることである。
政策モデルとして、人工林を次の三つに再編してはどうだろうか。
| 森林区分 | 割合の仮案 | 基本方針 |
|---|---|---|
| 中核産業林 | 約3割 | 伐って、使って、再造林する |
| 防災・保全人工林 | 約2割 | 木材収入に頼らず、公費で管理する |
| 自然林移行区域 | 約5割 | 段階的に針広混交林・天然林へ移行する |
この「3・2・5」は、全国一律に適用する確定値ではない。
実際の区分は、流域ごとに地形、地質、降雨、水系、集落、道路、水源、生態系、林業採算性を重ねて決める必要がある。
中核産業林では、人材、機械、林道、製材設備を集約し、伐採・搬出・再造林・保育までを木材価格で賄う。
防災・保全人工林では、木材販売を目的にしない。集落、道路、水源を守るために、公費によって必要な管理を行う。
自然林移行区域では、人工林を永久に維持しない。必要に応じて小面積伐採、帯状伐採、広葉樹の導入、シカ対策などを行い、長期的には人為管理を縮小していく。
重要なのは、まず伐ってはいけない山、守らなければならない山を指定し、その後に産業林を選ぶことである。
単純に、採算のよい山から上位3割を選べばよいわけではない。
山を守る費用を林業に負わせない
林業の利益で、防災上必要な山の管理費まで負担させてはいけない。
木材生産は、原則として木材価格で成り立たせる。
主伐後の再造林も、木材生産を継続するための費用として、販売価格へ組み込む。
一方、集落、道路、河川、水源を守る森林管理は、治山、砂防、道路防災と同じ公共事業である。
これは林業への赤字補填ではない。
都市や集落を守るための国土保全費である。
林業の費用と山林保全の費用を混ぜるから、「林業は補助金なしでは成立しない」という議論と、「山を守るためには林業を守らなければならない」という議論が、いつまでも分離できない。
「何ha間伐したか」から「何を守ったか」へ
山林保全の成果は、間伐面積で評価すべきではない。
見るべきなのは、
- 林床が植物や落葉で覆われたか
- 表土流出が減ったか
- 作業道や林道の排水が改善したか
- 危険木や流木発生源が減ったか
- 集落や道路への土砂到達リスクが下がったか
- 広葉樹の自然更新が始まったか
- シカ害が抑えられたか
- 将来の管理負担を減らせたか
である。
間伐は成果ではない。
間伐によって、山の状態がどう変わったかが成果である。
山を守るために、林業を守るのではない
林業には林業の正義がある。
国産材を安定して供給し、林業従事者の所得を確保し、伐採後に再造林する。
そのためには、林業に適した山へ人材と資金を集中させなければならない。
国産材を利用する側にも正義がある。
国内の山、製材所、職人を支え、地域の材料を建築として残すことには価値がある。
そして山林保全には、また別の正義がある。
人命、水源、道路、河川、生態系を守るためには、木材として売れるかどうかとは無関係に、管理しなければならない山がある。
三者には重なる部分がある。
しかし、同じではない。
林業として成立する山では、伐って、使って、再造林する。
防災上守るべき山では、木材収入に頼らず公費で管理する。
林業に適さない人工林は、安全を確認しながら自然林へ戻す。
必要なのは、すべての人工林を間伐し続けることではない。
どの山を産業林として残すのか。
どの山を公共的に守るのか。
どの山から人間が段階的に撤退するのか。
その線を引くことである。
「間伐しないと山が荒れる」と言う前に、私たちは問わなければならない。
その間伐は、木材を育てるためなのか。
それとも、本当に山を守るためなのか。
